2008-10-23の読みさし

誰もが知っているはずなのに誰も考えなかった農のはなし (ASAHI ECO BOOKS):100%

よい。とてもよい。小学校高学年から中学生くらいに教科書として読んで欲しい。エコに侵されていない、虚無主義にとらわれていない、ピュアな心で読んで欲しい。大量消費社会に迎合するか、エコでロハスな生活に堕落するか、それともそれ以外の道を見つけてもがくのか、この本を読んでからもいいだろう。無論、大人が読んでもいい。けれど、できるだけピュアな心でよろしく。

本書では、まず、基本的な科学的事実から、「農」は「太陽エネルギーから人間用の化学エネルギーを生産する仕事」である、という命題を引き出している。これは基本的なことながら、なおざりにされがちな命題である。私も指摘されて改めて「そうだよねえ」と思った。この命題を導き出すのにバイオスフィアの実験の話が絡んでいるのも啓示的かつ当たり前で興味深い。
現在では、植物工場も実用されているが、この「電気エネルギーから人間用の化学エネルギーを生産する仕事」は「農」と言えるのだろうか。これに対しては二つの答え方があって、一つは「そんなのは農じゃないよね」であり、もう一つは「それも新しい農だよね」である。一般的には後者の考え方が多いのではないだろうか。マスコミなどでも好意的に扱われている印象を受ける。同じく「焦眉の急とも言える全世界的な食糧不足問題」に対するソリューションである GMO とは正反対に。私はどちらかというと前者の考えに近い。もしかすると、「それは農業かもしれないけど、農じゃないよね」なのかも知れない。

脱線した。まあ、脱線こそが私がブログを書く原動力なのかもしれないが。と、また脱線してみた。本書では「農」の位置づけを定めたあと、「農」を軸に歴史をたどり、日本の社会が稲作文化、水田文化を基盤に形成されていることを喝破する*1。我々はこのわずか数十年の間に、二千有余年かけ世代を超えて構築してきた有形無形のものを、一所懸命壊してきたのだ、ということを知らされる。しばらくこの流れは変わらないだろうなあ。

「農業」ではなく「農」という言葉にこだわっているところを筆頭に、この本は、私が「農」に対して考えていることの多くをカバーしており、しかも基本的な意見も一致している。さらに、私が考えるだけで済ましているところに対して、データをもって説明を補強していて心強い。当然私が考えるよりも深く考察されている。とりあえず、私の農に対する考え方を問われた際、基本的にはこの本と同じです、と示せる本となりそうだ。

あと、次の一文も心に響いた。

英文学者の吉田健一は「若さとは十八世紀に西洋が発明した概念である」という趣旨の言葉を残しています。

この文が意味するところを考えるのは各自宿題、ということで。

*1:喝破する、という激しさはない。静かに、しかし力強く説く、というニュアンスなのだが、これをうまく表現する日本語を私は知らない。自分の語彙の少なさを呪うしかない。