おなずかしい

最近、おなずかしい、という言葉を聞かなくなった。
辞書的に言えば、「人の視線がないと慢心してふとしてしまった行為を人に気づかれてしまったときに感じる気恥ずかしい思い」というところだろうか。

この言葉が聞かれなくなったのには、公の場で私的なことをすることに対する抵抗感がなくなってきたことが大きく寄与していると思う。みっともない、という言葉があまり使われなくなってきたことと直接関係があるだろう。前の世代がみっともないと思うような行為でも、今の世代はみっともないと思わなくなってきている。すなわち、「人の視線がないと慢心してふとしてしまった行為」を「人に気づかれてしまっ」ても、気恥ずかしさを感じなくなってきている。だから、見られてもおなずかしくないのだ。

もう一つには、監視社会化が進行しつつあることも関係しているかもしれない。セキュリティの観点から、街は監視カメラであふれ、子供の居場所は常に追跡されている。さらに、利便性を得るために自らの個人情報をさらすことに対する抵抗感はどんどん薄れつつある。そういう人々が増えるにつけ、社会全体は個人情報をさらすことが前提のものになっていく。プライバシーは守ろうとしても守れるものではなく、最初から守ることを放棄したほうが心理的にも有利な社会になりつつある。そうした考え方では、「人の視線がない」という想定自体が成立しない。いつ、どこにいても、誰かの目があっても仕方がないと思っている。したがって、ふとしてしまった行為を人に気づかれても、そういうものだという諦めがある。だから、見られてもおなずかしくないのだ。