法治国家に生きるということ

法体系の分解

法に対してこういう還元的な手法が有効かどうかわからないが、法体系は細分化していくと、「○○という条件の下では、△△しなければならない。これを守らなかった場合××という罰則がある」という形式の命題の集積になる。これを条文、と呼ぶことにする。条文の前半部分は規則であり、後半部分は罰則規定である。
実際の運用においては、条件(○○部)や規律(△△部)に解釈の余地があり、判例という今までの適用例の集積との整合性、変化する社会情勢への追随を踏まえた判断が法の専門家によってなされる。もちろん、罰則(××部)も量刑や情状酌量などの形で、運用時の(ある程度の)柔軟性が担保されている。
なお、専門的用語としては判例も法体系に含まれるかもしれない。他にも適切な用語があるかもしれない。ご存知の方がいたらご指摘いただきたい。

法に従うとは

法は守ったり、準じたり、破ったり、侵したりできる。これらの意味をきちんと整理しないと議論が成立しないことがある。
通常、「法を守る」というのは、法体系におけるいかなる「条文」の「規則」も破っていないことを意味すると思う。「法に触れる」「法を侵す」は、法体系のある「条文」の「規則」を破ったことを意味すると思う。どちらにしても、「規則」に注目しており、「罰則」については言及していないだろう。
「法に従う」と言った場合は、基本的な姿勢としてはあやゆる「条文」の「規則」も破らないようにするけれども、『もしある「条文」の「規則」を破ったら、その「条文」の「罰則」を甘んじて受ける』ということを含意していると思う。一方、「法を破る」はある条文の「規則」を破り、その「罰則」に従うつもりもないことを意味していると思う。

以下、私の思っているところの意味で、用語を使う。

法に従って生きる個人的な宣言

私は、法治国家に生きる人間として、個人的に「法に従って」生きていくつもりである。けれども、「法を守る」ことは個人的な信念、信条に基づいて行動することに優先しない。換言すると、意図的/無意識的に「法を侵す」ことはありえるが、「法に従って」罰則は受ける、という態度である。

書き残したこと

  • 悪法でも法は法である
    • 法を破るべきでない、法を変える努力をすべきである
  • 法は本来的に後付けである
    • 法が社会変化に追いつかないのは必然である
  • 法治国家であることを子供に教育するには
    • 「法を守る」だけではなく、「法に従う」ことを示すほうがよい