死ぬべき命が生かされ続けることによる生物的、社会的危機

死ぬべきだった命が生かされ続けている現在。さらに「死ぬべき度合いの高さ」はより高くなっていき、「生かされ続ける長さ」はより長くなっていく。この「べき」は生物学的、というか進化論的には「そうするのに値する、そうしなければならない」という意味で、社会学的には「そうなることが当然」という意味である。

私自身、近視だし、虫歯になったことがあり、それなりに「死ぬべき度合い」は高い。進化論的に見れば、そんな個体が適切に死なないと進化はもたらされない。淘汰圧がかからない集団は絶滅するしかない。「死ぬべき度合い」がちょっと高めのものも生活できるようになっていると、環境が激変したときにある個体が生き残る確率が上がるので、それ自体はいいのかもしれない。

死ぬべき命を生かしてしまった場合、必然的に生かし続けなければならなくなる。社会は、「どのように「生かし続けるか」を考え、構築する」前に、死ぬべき命を「生かして」しまう。その近視眼的、場当たり的な対応が制度疲弊を招き、社会自体を崩壊に導く。脳死を生み、高齢化社会を作り、介護地獄を、高い税金を、救急搬送中に死ぬ人を生んだ。

死ぬべき命を生かしている例

その他、もろもろの医療、社会保障制度など。