事業破綻に伴う説明会におけるサービス利用者の怒り

不景気の折、金融危機のあおりを受け、事業破綻する企業が少なくない。あるサービスを提供している企業が破綻し、そのサービス利用者に対する説明会を開く図をしばしばテレビで見る。事業存続のために利用者から集めたお金も使ったけれど結局資金繰りが追いつかなくなった、と平謝りする経営者。「お金が戻ってこないこと」「そのサービスを前提にした人生設計が崩れてしまうこと」「経営者の説明が言い訳にしか聞こえないこと」に対して怒る利用者。このパターンを切り出して報道するメディア。

留学代行とか教習所とかの例が頭にあるが、ここではそれに限定しない議論を展開したい。

経営者の経営責任が問われるのは当然のこと。しかし、それは利用者の自己責任がまったくないことを意味しない。株式会社に業務を依頼した時点で、「依頼した業務」も「払ったお金がきちんと使われるか、あるいは戻ってくるか」も確実に保証されるわけではない。払ったお金が「依頼した業務」に使われず、事務所の賃貸料や経営者を含む社員への給料に使われることも、それ自体は「利用者を軽視したとんでもない行為」ではない。株式会社という企業体がサービスを継続するためには、資金繰りのためにそういうお金の使い方もしなければならないときがあるだろう。

利用者は同種のサービスを提供する企業がいくつかあるなかで特定の企業を選択した。この選択に利用者の自己責任がある。その企業が破綻してかけたお金が戻ってこないのが心配なら、経営の健全性を常にチェックする必要があるだろう。チェックするのが大変なら、ある程度の「事故」は許容しなければならないだろう。要はリスク管理。元からある程度のリスクは折込み済みである。名が知れているから大丈夫だと思った、料金が安かった、前にそれを使った知人がいいと言っていた、サービス利用者が多かった、さまざまな評価基準があるだろうから、そこから総合的に潜在的リスクとそれに伴う損失を考えておくべきだ。

これからの時代、社会状況の流動性、不確実性は増す方向にあるだろう。そこで必要とされるのは、変わり行く状況を敏感に感じ取り、リスクを取って臨機応変に対応していく能力である。なんとなくそうだよね、と思っている価値基準に従い、誰かが打ち立てたマニュアルに沿って行動する限り、あったはずの足の置き場所がなくなって奈落の底に落ちる。地面の上に引かれた線の上を歩いていると思っている人が多いけれど、我々は、実は工事中のビルの足場のようなところを歩いていたのだ。