家族の機能不全を防ぐ政策の提言

現在、起こっている、そしてこれから発生するであろう多くの社会問題は、「個人の尊重」と軌を一にして進んできた「一世帯数の人数の減少」に起因していると考えている。核家族化、晩婚化、離婚率の増加、独居老人の増加、これらは家族のありかたの多様性と考えていいだろう。私はこれらのこと自体を問題だとは捉えていない。問題なのは、「一世帯数の人数が減少」したことにより、幼少の頃からさまざまな濃い人間関係の中で、いろいろな程度のいろいろな異常な人に触れずに大人になってしまっていくことだと考えている。
その具体的論考はまた後日。ここでは、「そんなこと言ったって、個人主義とか個人の尊重とかは今のまま進んでいくでしょ。昔の封建的な家庭制度にしようなんて無理じゃない。」という突っ込みに対して、実現可能な政策を提示してみる。

繰り返しになるが、私が問題だと思うのは、いろいろな程度のいろいろな異常な「親しい人」に触れずに子ども時代を過ごしてしまうことだ。だからと言って、家父長制度がよい、とか、個人よりも国家を尊重すべし、とかではない。子どものうちに、「わずらわしさ」を感じるような、でも「逃げ場所になるような」人間関係を多数持つようにするほうがよい、ということである。「口うるさいお隣のおばあさん」とか「角の家のかたわ*1の三男坊」とかと何らかの形で触れ合ったほうが経済的に特になるような政策を取る。一つは、特定の物理的なリソースをよりたくさんの人数で、よりたくさんの血縁者で共有するようにする。たとえば、一つ屋根の下に暮らす人数、一つの玄関を共有する人数、一つのゴミ集積場を使う人数、一つの鍋を使う人数、一つの冷蔵庫を使う人数を増やすようにする。公的権力の介入方法としては、税金、控除、保証金などさまざまな「経済的」なやり方があると思う。

これにより、家族はばらばらに住むより、一箇所にまとまって住むほうが安く済むようになる。住居費を少なくしたい単身者は、いろいろな施設が共同化され、その分安くなった集合住宅を選択できる。プライバシーを尊重したい人は、それなりの経済的対価を払えばそのような生活を獲得できる。

*1:差別用語とする向きも多い言葉をわざと使った。これが差別用語になってしまうことが問題なのだ。