想像できないけれど想定できること - 困ったさんへの対処
共同作業する上で困った人
「何でそんなことするのかな。理解に苦しむ。こっちもそれで被害をこうむるんだけど。」というような人に出会うことがある。単に出会う、というよりも、自分がしようとしていることが一人でやることではなくて、人と共同しながらやることだった場合に、共同する相手がそういう人であることがしばしばある。
たとえば、次のような「単位」(自分が含まれる)において、共同で何か「なそうとしていること」があるときに、「困った行為をする人(困ったさん)」がいる。
単位 | なそうとしていること | 困ったさん |
会社 | 営業会議 | いつも 10 分程度遅れてくる販促部長 |
自分と相手 | 待ち合わせて買い物に行くこと | よくドタキャンされるが、別の人に聞いた話では別の人と遊びに行っているらしいうわさのある人 |
集合住宅の自治会 | ペットを飼う基準 | 自分が中心的になって決めたのに、その基準をしばしば破っているのが目撃されている人 |
家族 | 家族旅行 | 提案時には何も言わないのに決まったことにすぐ文句を言う次男 |
上司と部下 | 書類の作成 | 何か (waht) 依頼するとき、それをどのように行うか (how to do) 細かく説明しなければならない部下 |
部下と上司 | 企画の予算獲得 | どう考えても 10 分もあればできる稟議資料のチェックをやる時間がないと言って飲みにいく上司 |
こういうとき、どう考えても相手のやっていることが理解できないことがある。相手の説明(釈明、言い訳)を聞いてもまったく納得できないし、どういう思考をしているのか、どういう優先順位づけをしているのか「想像」できない。
このような場合、どう対処するのがよいのだろうか。
なぜ困ったさんは困った行為をするのか
「このような場合、どう対処するのがよいのだろうか。」という問いを出しておきながら、先に、なぜそのようなことが起こるのか、困った行為をする人、すなわち困ったさん側から説明してみたい。というのも、私は「困ったさん」に出会ったことも多いが、自分自身が他人から「困ったさん」であると認識されていることを感じたことも少なくはない。したがって、両側から考察することができる*1。
まず、困ったさんの論理的思考がほんとうに壊れている場合がありうる。器質的な問題かもしれないし、日常的に必要な論理的思考の訓練が足りなかったのかもしれない。投薬による、あるいは、肉体的精神的疲労による一時的なものかもしれない。一時的なものであれ、その原因(投薬、疲労)が頻繁に起これば、慢性的なものと捉えられることが多いだろう。
次に、困ったさんの理論があなたの理論と異なっている場合がありうる。これも二つの理論の間で、公理が違う場合、優先度が違う場合などが考えられる。あなたに見せている人物像は、その人のもつ多様で複雑な存在の「あなたが見ている世界」への投影でしかない。実は「両親の介護をしている/CIA のエージェントをしている/難病の子供を抱えている/変態的趣味がある/奇病にかかっている/内縁関係の伴侶が複数居る/大財閥の御曹司である」のかもしれず、それを余人に知られたくはないと考えているかもしれない。たとえば、上司は、ある場所を定期的に回ってしかけた盗聴器のメンテナンスをするのが主目的で、それをカモフラージュするために飲みに入っているのかもしれない。販促部長は、人を待たせることによる会社の経費増加、自分への評価の下落があったとしても、野良猫としばしの間じゃれることが大切かもしれない。
対処方法
上に書いたような話は荒唐無稽であるかもしれない。しかし、繰り返しになるが、あなたは、ある人物を「あなたが見ている世界」への投影でしか見ることができない。がゆえに、困ったさんであるか否かによらず、あなたは誰かを*2想像することはできない。何でそんなことをするのか「想像できない」というのは、ある意味普通の状態である。
で、「このような場合、どう対処するのがよいのだろうか。」
一つは、その人との関わりをなくすことである。
基本的には、想像できない以上、「想像」を放棄するしかない。そして、「想像」と同時にその「想像」の元になった関わりごと放棄してしまうのがこの方法である。関わりをなくす方法も、共同している「単位」を解消する方法、共同して「なそうとしていること」を解消する方法に分類できる(両方の性格を持つ方法もある)。たとえば、会社では次のようなものがある;「会社を辞める」「異動を願い出る」「相手を辞めさせる」「不始末を起こして部下だった人と同格になる」「社長に直訴する」「ストライキを起こす」など。
もう一つは、「想像」は放棄するが、その人がそのような人であることをそのまま受け入れ、「そういう人だ」と想定することである。想定することで、その人が起こすであろう問題も、その結果として自分がこうむるであろうとばっちりも、最初から予想できる。予想して先回りすることもできる。普通のリスク管理である。
想像がもたらすもの
一旦、想定してしまえば、「なぜそうするのか」をそれ以上追求しなくて済む。だとしても、「なぜそうなんだ」と想像し、根本の原因を解決したほうが、八方丸く納まる気がするかもしれない。しかし、想像は役に立たないどころか、むしろ事態を悪化させることに寄与するほうが多い。
これについては、日を改めて書こう。