ライトアップ

ライトアップ

私は、建造物や自然物を照らし出す、いわゆるライトアップというのがあまり好きではありません。なぜ、と問われると、何となく、と答えざるを得ないのですが、よくよく考えてみると、次のようなことがあるのではないかと思います。

まず、そのわざとらしさ、でしょうか。ライトアップして美しい建造物なり自然物の美しさは、照されることによって生じるのではなく、もともとそれらの建造物なり自然物が持っていた美しさだと思うのです。それに対し、無理矢理に強調せしめる、わかりやすくメリハリをつけてみせるのが、ライトアップではないかと思います。
私は、そうにまでしてメリハリをつけられた景観を楽しみたいとは思いません。もっと淡い濃淡が織りなす景色を愛でられるようになりたいです。夜桜を楽しむなら、くっきりと闇に浮かぶ桜より、月明かりにぼうっとにじむ桜を愛でたい。そういう感覚に敏感な人間でありたい。

もうひとつ、「これを楽しんでください」と誰かに示されたものでしか楽しめない、ということが気に入らないのです。言ってみれば、ライトアップは作られたハレです。それに対して、私はケの中に細やかな感触を、自分で発見して楽しみたいのです。いずれ記すことになるであろう、マジョリティに伍することをいさぎよしとせず、ということにもつながります。自分が楽しむものは、自分の感性で見つけたいし、実際、見つけてきています。無論、ライトアップされたところに行っても、自分なりの楽しみを見い出せるかもしれませんが、光がまぶしすぎて、それがなければ感じとれる機微に気付かないで過してしまう可能性が高いと思います。

そんなことで、私はついついライトアップされた場所には背を向けてしまうのです。きらびやかなイルミネーションから目をそむけたくなってしまうのです。
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