三万七千二百年前の日記

われわれは、文化進化論の罠に気づかずに陥ってしまうことが多い。

石器時代と呼びならわしている時期の人間の精神活動、文化活動は低かったんだろう、と思ってしまいがちだ。しかし、彼らの精神活動、文化活動が、現代人のそれと比べて低い、とする仮説に、科学的な根拠はない。むしろ、現代人と遜色ない、と考えるほうが妥当だろう。なにしろ、生物学的にはまったく同じホモサピエンスなのだ。個体同士単体の優劣を競ったら、ほぼ互角であるのは疑いようもない。

それでも、文字による世代間を超えた情報の伝達の有無、によって社会的、文明的な洗練度は違うだろう、という期待は残る。最近グリマルディ人の遺跡から発掘された多量の文書は、その「文化進化論の最後の砦」も軽々と破壊するものらしい。なにしろ、当時 8 〜 10 歳と思われる複数人の人間の手で書かれたと思われる日記だと推測されているのだ。多数の子供が文字を書くことができる、ということは、当然大人も文字が書けたことを意味するし、日記なぞを書くことができるほど「暇」であったことになる。

もういちど、自分達が文化進化論の罠にはまっていないか、よくよく確認してみたほうがいいだろう。