水を喰う我々

あし@でたまにこのブログに訪れているらしきかたのブログエントリいずみの環境問題ブッタ斬り 水は大事なものを読んで。

引用の引用になってしまうが ...。

国際標準化機構(ISO)は12日、製品や組織が使用したライフサイクル全体の水の総量を表す「ウォーターフットプリント」の国際規格化を決めた。

実効性に疑問が残るが、製品に使われた水の量の表示自体はけっこうなことである。我々は普段の消費行動が、その製品を作るために使用した水を消費するのと同等であることをあまり意識しない。端的な例は肉を食べる、という行為だ。国産の肉を食べたとしても、その家畜を肥育するのに使われた飼料はおそらく輸入したものだ。そして、その飼料を育てるのに大量の淡水が必要になる。もし、近海で獲れた魚を食べる代わりにその肉を食べたとすると、間接的に飼料を育てた場所の淡水を多量に消費したことになる。

地球は水の星、などと言われることもあるが、そのうち、人間が生きていくために必要な飲料として利用可能な「淡水」はほんのわずかである。しかも、同じ淡水を生活用水以上に消費しているのが工業であり、農業である。ただでさえ貴重な淡水を、それぞれが、それぞれの都合で奪いあっているのが現状だ。

我々がある食品を食べるとき、それはどこかの国で多くの人が水不足で困っている人の生活用水を奪って作られたものを食べているのかもしれない。便利だからとある工業製品を買うとき、それはどこかの国で灌漑用水となるべきだった水を奪って作られたものを買っているのかもしれない。もし、ウォーターフットプリントが有効に働いていたとすると、我々はただ価格だけで買うものを選ばずに、それが作られるのに使われた水の量も考慮できるようになる。とにかく自分が安く買えればいいのか、貴重な水資源を人から奪うことをできるだけ少なくするように行動するのか、我々には選ぶ責任が生じる。