食材ということばの功罪

食材、ということばはわりと新しいことばだと思う。この食材、ということばによって、何か大切なものが失われてしまったような気がする。おそらくそれは、食べ物から「他の生き物のいのちを奪う」という文脈を取り去ったものになっているからだと思う。栽培は記号化され、屠畜は隠蔽された。
佐藤洋一郎氏は生物多様性はなぜ大切か? (地球研叢書)の中で

学校教育が食材のもつ栄養を六つの栄養素に還元してしまったこと

そして、

たとえばトマトは「リコピンを多量に含んで疲労回復にいい」し、「サツマイモのポリフェノールは老化防止やがん抑制によい」としての評価しか受けられない

ことを指摘、批判している。まったくそのとおりである。

今、ふと気がついたが、私が「脱消費者(消費者という立場に固定的に立つことからの脱出)」を薦めるのも、便宜的な還元思想を、実生活に無批判に取り込みすぎていることへの抵抗、ということで、食品を食材として見ることへの抵抗と同じことかも。農業の健全化の一つの方向として示されている「食品への高機能性の付加(別にコラーゲンを添付したコメは食べたいと思わない)」に対する違和も同源であるような気がしてきた。