ふさこがねの新米を玄米でいただく

久々に米屋でコメを買う

先日、武蔵小山のお米屋さんで玄米を買った。家には無洗米のあきたこまち玄米が残っているのだが、ついつい。スーパーでは無用な機能が付加された玄米しか購入できず、近所によいお米屋さんも発掘できていない状況で、コメもネットで買うしかないかなあ、と思っていたところ。もう数年前からそこに米屋があり、何度か入ろうと思ったことはある店。ちょうどつれあいと一緒に歩いていたので、入ってみた。いろいろな品種の新米が並んでいる。それぞれにその品種の特徴やら、生産者のメッセージなどが書いてある。一キロ単位で選んで買えるのが嬉しい。値段も特別に高いということはない。その場においてあるものを量り売りしてくれる、というのは「イコール安全」でも「イコール安心」でもないが、少なくともスーパーで袋入りになっているコメを買うよりも「見えていている」。
今回は手ごろな値段の「ふさこがね」と「こしいぶき」の玄米を 1 kg ずつ購入した。

ふさこがねを食す

で、今日はまずふさこがねを炊いてみた。洗うのはちと面倒だ。無洗米でないから当たり前だけど。白米と違ってもみがらや

炊き上がりを口にした。で、夫婦して突然「なぜ我々は玄米を食べていたのか」を思い出した。そう、我々は玄米がおいしいから玄米を食べていたんだ。健康にいいとか、そんなのは二の次、三の次だった。それを思い出させてくれたのは、口にしたときに広がる香ばしさ、おかずがなくてもおいしくいただけるコメ自体の味だ。ここ数年、スーパーで手に入る玄米しか食べておらず、玄米自体のうまさをすっかり忘れてしまっていたのだ。

正直なところ、今日は「ふさこがねかどうか」、かどうか以前の「本来の新米の玄米かどうか」という点だけで感激してしまい、ふさこがね自体の評価には結びつかなかった。

ひとまず無洗米を買う必要はなくなった

玄米の場合、研ぐ、というより、洗う、がふさわしいと思うが、実際のところどうなんだろう。もみがらはもちろん、小石が出てきても、それはそんなもんだよね、と思える。

それはさておき、涌井さんのおコメは、私が買って食べる価値のあるおコメの座から滑り落ちてしまった。私でない消費者は求めているものであろうから、困りませんよね。